概念の「背景」を紐解く:生徒が深く理解するストーリーテリング活用法
抽象的な概念を生徒に「腑落ち」させるために
日々の授業で、生徒が特定の概念について「言葉は覚えたけれど、本当の意味が理解できていない」と感じることは少なくありません。特に、抽象的な概念や原理原則は、具体的なイメージが掴みにくいため、生徒にとって学びの壁となることがあります。なぜその概念が必要なのか、どのようにして生まれたのかといった「背景」や「文脈」が欠落していると、単なる知識の羅列として受け止められてしまいがちです。
ここでは、こうした抽象概念の学習において、ストーリーテリングを効果的に活用し、生徒の理解を深めるための具体的な方法についてご紹介します。概念が持つ物語を紐解くことで、生徒は学びを自分ごととして捉え、探究心を育むことができるでしょう。
ストーリーテリングが抽象概念の理解に役立つ理由
抽象的な概念は、しばしば長い歴史や様々な人々の思考の積み重ねの上に成り立っています。その「誕生」から「発展」、「活用」に至るプロセスには、発見の驚き、困難への挑戦、議論や試行錯誤といった人間ドラマが含まれています。これらの背景をストーリーとして語り聞かせることは、以下のような効果が期待できます。
- 興味・関心の喚起: 無味乾燥に見える概念に、人間的な側面やドラマを与えることで、生徒の知的好奇心を引き出します。
- 理解の深化: 概念が生まれた歴史的、社会的背景や、それが解決しようとした課題を知ることで、「なぜその概念が必要なのか」という本質的な理解に繋がります。
- 記憶への定着: ストーリーは感情やイメージと結びつきやすく、単なる事実よりも記憶に残りやすい特性があります。概念とストーリーが一体となることで、忘れにくい知識となります。
- 多角的な視点の育成: 概念がどのように生まれ、どのように捉えられてきたかを知ることで、物事を一つの側面だけでなく、様々な角度から考察する視点が養われます。
抽象概念の「背景」をストーリーとして伝えるステップ
概念の背景をストーリーとして伝えるためには、いくつかの準備と構成が重要です。複雑な理論や高度なツールは必要ありません。既存の知識を少し違った角度から再構成するだけで、手軽に試すことができます。
- 対象とする概念を選ぶ: 授業で生徒が特につまずきやすい、あるいは重要ながらも抽象度が高い概念を選びます。
- 概念の「誕生」を探る:
- その概念は、どのような「問い」や「課題」から生まれたのでしょうか。
- 当時の人々は、何を知りたくて、何を解決したくて、その概念にたどり着いたのでしょうか。
- 概念の発見や提唱には、どのような人物が関わっていたのでしょうか。その人物はどのような人物でしたか。
- 概念の「発展」をたどる:
- その概念は、どのように検証され、どのように受け入れられていったのでしょうか。
- どのような試行錯誤や議論があったのでしょうか。
- 後の時代に、その概念はどのように発展したり、関連する別の概念が生まれたりしたのでしょうか。
- 概念の「現在」と「繋がり」を示す:
- その概念は、現代社会でどのように活用されているのでしょうか。
- 生徒たちの日常生活や、彼らが将来関わるかもしれない世界と、どのように繋がっているのでしょうか。
- 物語の構成を組み立てる:
- ステップ2~4で集めた要素を、「始まり(問題提起/誕生)」「中盤(探究/発展)」「結末(現代への繋がり/意義)」という物語の構造に沿って整理します。
- 重要なターニングポイントや、当時の人々の感情(驚き、葛藤、喜びなど)を想像し、ストーリーに織り交ぜます。
- 専門用語を避け、生徒に分かりやすい言葉や比喩を用います。
実践例:中学校の授業で概念の背景を語る
いくつかの教科における実践例を考えます。
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数学:負の数の概念
- ストーリーの始まり:昔の人々がお金の貸し借りや時間の経過を記録する際に直面した課題。
- 発展:借金や過去を表すための新しい数の必要性。インドや中国など様々な文化圏での考え方。ヨーロッパでの受容と抵抗。
- 現在:温度計、海抜、ゲームの得点など、身近な負の数の活用例。
- ポイント:生徒が具体的な状況から負の数が必要になった「必然性」を感じられるように語ります。
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理科:慣性の法則
- ストーリーの始まり:アリストテレスの考え(物は止まるのが自然)。ガリレオ・ガリレイやニュートンがこれに疑問を持ったきっかけ。
- 発展:摩擦や空気抵抗のない世界を想像することの難しさ。思考実験や実験装置(振り子など)を用いた探究。ニュートンによる法則の定式化。
- 現在:シートベルト、電車が急ブレーキをかけたとき、宇宙空間での物体の動きなど、身近な慣性の法則の事例。
- ポイント:科学者がどのように常識に挑み、真実を探求したのかという探究のプロセスをドラマチックに語ります。
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社会:基本的人権の概念
- ストーリーの始まり:歴史上の人々が不自由や差別の中で暮らしていた時代の苦しみや不満。なぜ「人には生まれながらの権利がある」という考えが生まれたのか。
- 発展:マグナ・カルタ、市民革命、世界人権宣言など、権利獲得に向けた長い道のり。様々な思想家や運動家の活動。
- 現在:日本の憲法や法律、生徒自身の権利、国際社会における人権問題。
- ポイント:人権が当たり前のものではなく、多くの人々の努力や犠牲の上に成り立っていることを伝え、その重みと大切さを感じ取ってもらいます。
導入における工夫と注意点
- 簡潔にまとめる: 授業時間には限りがあります。概念の背景ストーリーは、長すぎると生徒が飽きてしまいます。一つの概念につき、5分から10分程度の短いストーリーとして構成することを意識します。
- 生徒への問いかけを挟む: 一方的に語るだけでなく、「もし皆さんがその時代にいたら、どう考えたと思いますか」「次に何が起こったと想像しますか」など、途中で生徒に考えさせる問いかけを挟むことで、主体的な聞き方を促します。
- 視覚資料の活用: 当時の絵や写真、人物の肖像、関連するグラフや図などを提示しながら語ると、より生徒のイメージが膨らみます。
- 感情を込める: 淡々と事実を述べるのではなく、当時の人々の驚きや葛藤、喜びといった感情を声の調子や表情に乗せて語ることで、生徒の共感を呼び起こします。
まとめ
抽象的な概念は、その背景にある物語を知ることで、生徒にとって血の通った、意味のある知識となり得ます。単に定義を覚えるだけでなく、「なぜ」そうなるのか、「どのようにして」その考えが生まれたのかを知ることは、生徒の知的好奇心を刺激し、学びを深くする手助けとなります。
今回ご紹介したように、概念の「誕生」から「現在」への繋がりを物語として構成することは、教員が既存の教材研究に「ストーリー」という視点をプラスするだけで実践可能です。授業の限られた時間の中で、短いエピソードとして語ることから始めてみてはいかがでしょうか。このアプローチが、生徒たちの概念に対する「なるほど」や「もっと知りたい」に繋がることを願っています。